江戸初期の剣豪で、柳生宗矩(やぎゅうむねのり)と同じように幕府の剣術師範になった、小野 次郎右衛門 忠明のところには、非常に腕の立つ剣豪が弟子入りを志願してきたそうです。
その時の忠明と剣豪の会話について、以下のやり取りの逸話があります。
剣豪:拙者を弟子にしていただけたら、私は本気で修行いたします。本気で修行したら何年で免許皆伝になりますか?
忠明:貴殿のように腕立つ者は、5年で免許皆伝になるであろう!
剣豪:それでは、寝食を忘れて修行したら?
忠明:まず10年はかかるであろう!
剣豪:それでは命がけで修行したら?
忠明:一生かかっても免許皆伝はならないであろう!
ここで、忠明が言いたかったことがわかるでしょうか。
何事にもゆとりを持たなければいけないということです。
日本の様々な団体に残っている古い体質は、「寝食を忘れて没頭する」「命がけで頑張る」という表現を美徳とする傾向があり、特にスポーツや体育業界で問題として目立ち始めています。
また、会社でも「パワハラ問題」として企業体質・文化の見直しを図らなければならない状況が増えています。
どんなものでも、命まで懸けてはいけない……。命まで賭けると、それこそゆとりがなくなって、幅広い考え方ができなくなります。
師範になるほどの腕を持つ忠明が至った結論は、現代の人間科学と一致しているように思えます。
このことは、開発に携わっている技術者にも当てはまるでしょう。
何事も本気でやらなければなりませんが、ゆとりのない本気は、かえって自分をダメにするのです。