建物の「塀」は、ただそこに立っているだけで十分に機能します。
例えば、駅に行く途中に空き地があったとしましょう。そこがマンション用地になっていることがわかっているとします。でもその空き地を突っ切れば駅まで2〜3分の時間を短縮できるとしたら……?
皆さんも、他の多くの方と同じようにその近道を使うかもしれません。そして、それを見ている人も特に「道徳心がない」と言って非難することはないでしょう。
ところがそこに塀があると、近道だからと言ってその塀を乗り越えたら、非難されることになります。場合によっては建造物不法侵入などで警察のご厄介になるかもしれません。
物理的に通れるか通れないかということではなく、「塀が存在することで非難されるかされないかの違いが生まれる」というところに注目してください。
「塀があるから近道をしません」という宣言をする人はまずいないでしょう。それゆえに、塀の中にいる人には塀そのものの存在のありがたさに気付きにくいのです。
例えば、「立派な塀があったのであなたの家に盗みに入るのをやめました」とわざわざ報告してくれる泥棒はいませんよね?
特許もこれに似ています。
「あなたの商品を真似しようとしたのですが、特許権があったのでやめました」と報告してくれるライバル企業はほとんどないでしょう。
むしろ、ライバルはその特許権が切れるのを虎視眈々と狙っていて、特許権が切れた途端に市場に打って出ようと手ぐすね引いて待っているかもしれません。
特許権が切れた途端にライバル商品がどっと参入してきたという事例は珍しくありません。「特許権が切れたら、我が社も即座に参入します」と宣言してくれるライバル社なんていないですしね。
物理的な塀のありがたみが直接的には意識しづらいのと同様に、特許という塀のありがたみも、それが切れてライバルが参入して初めて分かるものかもしれません。